3月11日。11年前に東日本大震災が起きた日。日本のみならず、世界の人々にとっても忘れてはならない日です。命の大切さはもちろんのこと、自然の前では人間はときに無力であること、だからこそ自然ともに生きる謙虚さが必要なこと、制御不能になった原子力発電所は人類の脅威になることなど、震災はわたしたちに多くの教訓を残しました。

11年前のこの日、わたしは市内の小学校で3年を担任していました。学期末の補習で残していた子どもを迎えに来てもらった保護者から、
「先生、えらいことになってますね。」
と言われ、そこではじめて東北沖で地震が起きたことを知りました。職員室に戻ると、テレビに流れていたのは、真っ黒な津波が田畑や住居を飲み込んでいく様子。この世のものとは思えない風景で、しばらく声が出なかったのを覚えています。

それから2ヶ月後、わたしは奈良市から派遣される復興支援隊の一員として(奈良市と姉妹都市にある)宮城県多賀城市に赴き、10日間ほど体育館に寝泊まりしながら被災者の支援を行いました。このときの経験は強烈にわたしの中に刻み込まれ、決して忘れることができません。そのときに感じたことを少しでも後世の人たち、特に子どもたちに伝えていくのが自分の使命だと思っているので、この日の朝礼(オンライン配信)でそのときの経験を話しました。

まずは、宮城県の位置を伝え、

そのあと、現地で撮ってきた写真を見せました。(ここにはアップしませんが、ぐしゃぐしゃにつぶれた車、流されてきた電車の車両、土台しか残っていない住宅地の写真などです。)

話の中で、被災した役所の人から聞いた、
「何日かぶりに口にしたカップ焼きそばの汁ほど、人生でおいしく感じたのものはなかった(今西注:麺は被災者が分けて食べ、役人は捨て汁を飲んだ)。」
という話も紹介しました。

最後に「命の大切さ」に触れ、講話を終えました。

このあと、1時間目と2時間目の学習を行い、2時間目の終わりに地震発生を想定した避難指示を出しました。
職員室から緊急放送で、
「地震が発生しました。揺れが収まるまで机の下に隠れなさい。」
と指示。事前指導を行っていたので、みんなすばやく机の下に潜り込んでいます。


そのあと、揺れが収まったという流れで、どういう行動をとればよいかを確認し、訓練を終えました。

一緒に宮城県に行った者のうち、何人かはわたしと同じように今も校長を務めています。この日の前後に話をすると、口をついて出るのは、
「あのときのこと、今年は話す(話した)?」
ということです。大仰に思われるかもしれませんが、それが現地に行った者たちの使命だと思っています。

※この日のことは去年今年の校長通信にも取り上げています。よろしければクリックしてご覧ください。