春日夜間中学校のあゆみ

 

 夜間中学は、子どもの時に小学校・中学校へ行けなかった人が大人になってから、勉強したいと学ぶ学校です。学校に行けなかった理由は、戦争、貧困、差別などが挙げられます。

 障碍者は、1979年の養護学校義務化の前には、「就学猶予・免除」という形で学校に行くことができませんでした。在日コリアンは、アジア太平洋戦争前及び戦中に生活のために日本へ来て、日本社会で苦労を重ねて生きてきました。多くの人が差別のために学校へ行けませんでした。日本語は話せても読み書きに困る人が多くいます。中国残留邦人は、アジア太平洋戦争前および戦中に日本から中国大陸へ国策で行った人が、日本に帰ることができず中国に残されそこで生活していましたが、1980年代以降、日本へ帰国しました。本人、配偶者、子ども、孫など日本で生活している数世代の人がいて、日常生活に必要な生活のための日本語などを学んでいます。また結婚などによる渡日者が、日本語を初め日本で生活するのに必要なことを学んでいます。このように国籍を越えて年齢は10代から80代の様々な立場の人が学んでいます。

 1975年に大阪府教育委員会が他府県からの入学を認めない方針を明らかにしまました。当時、奈良から大阪の夜間中学へ通う人がいました。1976年6月に「奈良に夜間中学をつくる会」ができ、夜間中学を作る運動が始まりました。9月には私設奈良夜間中学が西大寺駅近くの正強学園で週に4日の勉強が始まりました。うどんが出されたことから「うどん学校」の愛称で呼ばれました。県や市との交渉を重ね、1978年に奈良市立春日中学校夜間学級として公立夜間中学校となりました。

 日本人、それからオールドカマーと呼ばれる在日コリアンは公立夜間中学校開設の頃から在籍しています。1980年代後半からはニューカマーと呼ばれる外国人が徐々に増えていきました。1990年代には中国残留邦人とその関係者の入学が爆発的に増えた時期があり、その対応に追われました。2000年以降は、いろいろな国籍の生徒さんへの多言語対応が必要となりました。時代の必要性によって変化しながら夜間中学の営みは続いています。

 

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